A sweet little better love
 ぽりぽりぽりぽり。
 ドアを開けるなり響く小気味良い音に、シオンはいぶかしげに眉を顰めた。
 定宿にしている冒険者向けの宿屋の一室。簡素なテーブルに頬杖をついて読書に耽っている相棒の後姿を見て、何の音だと首を傾げる。
 ごくん。ぽりぽりぽりぽり。
 まるでネズミでもいるような音だ。
 くんと鼻を鼻を鳴らして匂いを嗅ぐと、香ばしく甘い匂いが漂っている。
「チョコレート……?」
「……ああ、シオンか」
 小さい呟きに気付いたのか、長い栗毛を三つ編みにしたハイプリーストがようやく振り返った。
 薄く形のいい唇に、器用にチョコの欠片を咥えている。
「何食べてんのさ」
「見たまま、チョコレートだ。食うか」
 言われてシオンが視線をめぐらせた先には、手作りと思しき微妙に形の悪いチョコレートが山と積み上がっていた。
 エイスが自作チョコに失敗したものを証拠隠滅しているのだろうか?と一瞬考えたが、結構プライドの高い相棒の性格を考えると、目ざといこの白髪のチェイサーの目に付く場所で失敗作を堂々とこうして食べるはずがない。
 はたして、何気なく手に取ったチョコレートには、誰とも知らぬ女の名前が刻まれていた。
「ジョスリーンより、愛を込めて。何これ、貰ったんかい?」
 あれも、これも、それも。
 包装が解かれているハート型のチョコ菓子には、どれもこれも女の名前が飛び散っている。
 どれだけ色男だと呆れ半分のシオンの声に、「アルトにな」と予想外の答えが返って来た。
「アルトに? なんで?」
 半人前のブラックスミス、アルトはエイスの養子であるリオの相棒だ。日頃の様々な意味を込めた感謝と付け届けとしてチョコレートを持ってくるのは、多少強引ではあるが判らないでもない。
 しかし、どのチョコレートもどこかの女の手作りだ。
 ハイプリーストの肩書きと中性的な顔立ちの所為で、バツイチ子持ちのわりに意外とモテる相棒宛のチョコを、件の青年がせっせと運んできたと考えるのが妥当だろう。
 しかし、貰った?
 悩むシオンの視線の先で、エイスの細く白い指先が、皿に積まれたチョコを一欠けら摘まみ上げ、口に運ぶ。
「失敗作の下取りサービスだそうだ」
 ナッツを練りこんだチョコレートをネズミよろしくぽりぽりと齧りながら、エイスは古ゲフェニア語の経典から視線を上げもせずに答えた。
「あいつもまた、変なサービスを思いつくもんだなぁ」
 鍛冶師としても冒険者としてもまだ駆け出し、中途半端なアルトだが、商魂だけはずば抜けて逞しい。
 しかし、それにしても引き取り過ぎではないだろうか。
「本命には極力見目のいい物を贈りたいのが女心だろう。可愛いものだな。お蔭で私は当分甘味に困らん」
「おいおいおい、ちょっと食べすぎじゃない?」
 つい今さっきチョコを摘んだ指が、また一欠けら摘んで口に運ぶ。
 無類の甘い物好きなエイスにとって、甘味の溢れたこの季節は幸せそのものだろうが、それにしてもこのペースはない。戯れに近くのゴミ箱を覗くと、既に食べ尽くされた後なのだろう空箱が、いくつも丁寧に折って捨ててあった。
 明らかに焼き時間を間違えて大分香ばしいを通り越して焦げ臭くなったタルトを手に取り、眉をしかめる。
「これはいくらなんでも食えんのじゃない?」
「食べ物は神が与えたもうた恵みの結晶だ。無駄にしたら神罰が下るぞ。ほら、お前も一つ食え」
 摘んだチョコを口元に差し出され、シオンは吊り上がり気味の眉を顰めて逡巡した。
 シオンがどうあっても克服できなかった苦手な食べ物が、二つある。水かきの和え物と、そして甘味全般だ。
 バレンタインにチョコをエイスの手から餌付けされたい気持ちと、食べた後で甘さにたっぷり五分以上は悶絶する事になるだろう嫌な予感がせめぎあう。
 甘い物は、本当に、本当に、本当に駄目なのだ。
「要らんのか。美味いのに」
 互いが転生する前からコンビを組んで、早十数回目のバレンタインだ。
 相棒の甘い物嫌いを知った上での意地悪の〆に、いかにも勿体無いと言いたげに片眉を顰めると、悩めるシオンを放置してチョコを口に運ぶ。
 摘んでいた時間が長かった所為で、溶けて指先にこびりついた茶色い名残を舐め取る舌先がちらりと覗き、シオンは一つ息をついた。
「俺はこっちから食べるわ」
 椅子にふんぞり返るハイプリーストの顔を覗き込み、くいっと指先で顎を上げさせると、唇を触れる。
 形のいい薄い唇を舌先でなぞり、カカオの香ばしく甘い匂いのするそこを開くよう執拗に擽ると、応じるようにエイスの舌先が触れてきた。
 くちゅりと濡れた小さい音を狭い宿の部屋に響かせ、角度を変えて舌を絡め、隅々まで文字通りの甘いキスを味わう。
 じんと舌先が痺れるような口付け。そして――
「……あっまぁ……」
「このどたわけめ」
 キスの余韻を楽しむ間もなく両手で口を押さえてうずくまったシオンの白い頭を、心底呆れた眼差しで見詰め、エイスはまた一つチョコの欠片を口に放り込んだ。
 一見何の変哲も内容に見えるナッツ入りのチョコだが、しかし、ナッツの歯応えの他にもう一つ。噛み締めた瞬間、じゃりっとするのだ。
「チョコに擬態した角砂糖じゃんよ、それ……」
 抗議する声も弱弱しい。普段極力使わない味覚を容赦なく刺激され、舌がもつれ気味だ。
「甘い思いを込めすぎたというところだな」

(つづく)

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