My little sweet heart
 男であれば誰もが気もそぞろなバレンタインデー。
 ホルグレンの工房に巣食うソロ軍団は、互いの抜け駆けを許すまじと睨み合いながら、「熱に弱いチョコレートなど灼熱の工房には無用の長物!」とスローガンを掲げて鎚を振るっていた。
 そう、熱い血潮と絆に結ばれた男の園に、浮ついた気分と甘いチョコなどいらないのだ。
 決してチョコが貰えない負け惜しみではない。
「こんにちわーっす」
 轟轟とふいごの音が渦巻き、澄んだ金属音が響く工房を覗き、見習い工のアルトは恐る恐る声を掛けた。
 一斉に向けられる視線にひょっと首を竦めると、情けないぎこちなさの溢れた笑みを浮かべる。
「おめぇ、今日は一日休みだろぉ? 何しに来てんだ」
「えーっと、あの、ちょっと、ええええっと……」
 先輩格のブラックスミスに口篭りながら、ぐるりと工房の中を見回す。
 世の中の甘いピンクの空気などあえて無いものと無視して、汗臭さにまみれた精錬所は年中無休で男祭りだ。炉の輻射熱のあまりの熱さに、元々軽装な服を更に上半身裸になって作業をしている。
 その中に目当ての一人を見つけ、ちょい、ちょい、と手招きをした。
 バレンタインにデートの為に休みを欲しがる者など許さん!と独身全員平等にくじ引きで決めたシフトで、ここぞとばかりくじ運を発揮して見事全休を手にしたアルトだが、昨日の帰り際に背中にどす黒いオーラを背負っていた仲間を偶然見つけてしまったのだ。
 朝からあっちこっちと走り回り、バレンタイン特需とばかり仕入れたチョコとイチゴとレシピのセットを売り捌いていたが、商売が一段落してみれば気になって気になって仕方なくなって、こうして覗きに来てしまった。
「なんだよアルト、俺、仕事中なんだけど……」
 鉢巻を外して汗を拭いながら、呼ばれたブラックスミスが工房の裏口に顔を出した。「あんまサボんじゃねぇぞ」と釘を刺す声が聞こえ、アルトは思わずいつも叱られている癖で首を竦める。
「話があるなら早くしてくれよ」
「いやさ、俺、稼ぎ終わったし夕方まで暇だから、代わってやろうかと思って来たんすけど」
 面倒くさそうに急かされて、工房の中で聞き耳を立てているだろうソロ軍団に聞こえないようひそひそと囁くと、途端ブラックスミスの顔がぱっと笑顔になった。
「ホントか! ほんっとうに良いのか!?」
 思わず大声になる同僚に、しーっ!と慌てて注意すると、アルトはすかさず片手を差し出した。
「交替代、一万ゼニーでいいっすよ」
「……相変わらずがめついな」
「しっかり者と言って欲しいっす」
 呆れたように半眼になりながらも、ブラックスミスは工具やら雑貨やら詰め込んだヒップバッグから財布を取り出し、硬貨をじゃらりと掌にあけると、アルトの手に一枚ずつ数えながら置いて行った。
「……九千、一万。はい、まいどあり!」
 細かい硬貨の合計を確かめるといそいそと財布にしまう。朝から一稼ぎしたお蔭で、いつもは軽い財布も今日はずしりと重い。
 満足げに財布をしまうアルトを見て、ブラックスミスは思い出したように軽く手を打った。
「稼ぎついでに一ついいか。……お前ンところに、チョコタルトの在庫ないか?」
「チョコタルト……?」
 言われて、愛用のカートを振り返る。朝、カプラサービスで荷物を受け取った時には引いて歩くのも辛いほど商品が山積みだった木製のカートも、今は数本の牛乳と板チョコが何枚か残っている程度だ。
「いやぁ、ちょっとないっすねえ」
 そう。その言葉に嘘はない。商売用のチョコタルトは品切れだ。今年は去年以上の売れ行きだった。
「参ったな、ああいう雰囲気だろ、買いに出る隙が無くて」
「え、でもバレンタインて、女から男っすから別にいらないんじゃないっすか?」
 まさか「心は乙女なの」などと言い出さないだろうな、と筋骨隆々とした逞しい上半身を晒すブラックスミスを訝しげな眼差しでまじまじと見る。
「おい、今お前、なに想像した」
「え、いやなんでもないっす、なんでもないっすよ、乙女魂は誰が持っててもいいもんだなとか、ちょっと……」
「違うっつの、このプパ以下脳みそ。彼女の誕生日なんだよ。だからチョコタルトを誕生日ケーキに、な」
 この見習い鍛冶師が、大分前からバレンタインに一儲けしようと走り回っていたのは周知の事実だ。一つでいいから在庫はないかと真剣な顔で迫られ、アルトは困ったように眉根を寄せた。
「でも、チョコタルトは今年はすっごい人気で……」
 ふと背中に視線の気配を感じて肩越しに工房の中を覗くと、ソロ軍団が聞き耳を立てているのが見える。
 あーだのうーだのしばらく唸った後、アルトは深く一つ溜息をついた。
 馬鹿ップルは呪うが一方で仲間を熱く愛するソロ軍団の言わんとしている事もわかるし、アルトもどうにかしてやりたいと思うが、しかし。
 服の上から片手で財布を押さえると、つんつんと逆立った赤毛を掻き毟る。
 商品用のケーキの在庫はない。だが、一つだけ、ないわけではない。
 何ヶ月も前から準備して、今日この日に稼ぎに稼ぎまくったのは、まさにその一つの為だった。
「今日、プロポーズするつもりなんだよ!」
 真剣な顔で迫られ、アルトは頭を抱えて情けなくその場にうずくまってしまった。

(つづく)

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